架空の村落「桃の里」に住む異様な男、ゲルハルト・パンネンシュティールが死んだ。ゲルハルトに育てられ、下僕として仕えてきたハンスのもとへ近所の女、塚本ヤスエがやってくる。ゲルハルトは死ぬ前日までの二十年間休みなく、塚本ヤスエに手紙を書き続け、それを届け続けたのはハンスなのである。
塚本ヤスエが所有する小さな農具小屋に、ハンスは毎日通い、ゲルハルトの手紙を読むことになる。塚本ヤスエ自身はすでに読んだその大量の手紙を、今度はハンスの目と脳ミソで読め、と彼女は命じたのである。
〈おまえの本当の名はユリス〉で始まるこの手紙は、〈もしもおまえが俺の求婚を承諾し〉という仮定のもと、豪華客船での婚礼と新婚旅行を馬鹿馬鹿しい執拗さで描き、その一通一通の最後は必ず、〈返事は使いの子供に持たせてくれ〉で終わっている。が、塚本ヤスエが返事を与えたことは一度もない。なんとか返事をもらおうとする工夫があれこれと凝らされつつ、手紙の内容は実に馬鹿げた冒険譚になってゆき、あろうことか手紙の主人公でもあり受取手でもあるユリス=塚本ヤスエは行方不明になってしまう。この、行方不明になったわたし=ユリスを捜し出せというのが、塚本ヤスエがハンスに手紙を読ませている主な動機なのである。
すべての手紙を読み終え、わずかな手がかりを頼りにユリス捜索の手始めとしてハンスが向ったのは、東京という街だった。なんの進展もないままに、レンタルビデオショップでアルバイトしていたハンスは、実に無意味な銃弾に倒れる。
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