城戸光子作品集 遺した者たち

著:城戸光子   編集:斎木信太朗   加治真理



青猫屋(妙)

1

 乾いた道を乾いた老人が歩いている。ゆっくりと、汗もかかず。
 歌を歌っている。

勇猛果敢に夜は明けつつ
きてれつ悪夢を蹴散らせば
九反二間に花も咲く

 ふと立ち止まり、考え込む。あの女、この歌の何が気に障ったんだろう?
 答えは出ない。

 老人は何十年もこの歌を歌い続けてきたし、それと同じ年月この疑問を抱き続けてきたけれど、答えは出ない。
 午後の陽射しと蝉の声が老人を焼き尽くそうとする。
 夏の真っ盛り。
 老人は麦藁帽子ごと頭を一握りして、疑問も蝉の声も夏の陽射しもいっぺんに振り払う。麦藁帽子は大きく前に傾いで、みるからに滑稽な状態になったが気にかけるふうもなく、乾いた道を再び歩きはじめる。

歴然と目覚めるとき
惑いの名残り 水一滴
呑舟の魚取り逃がし
犬の出現におどろく

 すこし離れたやっぱり乾いた道をひとりの子供が歩いている。子供は日焼けした皮膚にきらきら光るほどの汗をかいていて、歌は歌っていない。ただサクサクサクサク乾いた足音をたてて歩いている。
 サクサクサクサクサクサクサクサク。
 老人は鋭い耳をもっている。歌の隙間の蝉時雨の、そのまた隙間から子供の足音を拾い出し、歌をやめて耳を澄ます。
 サクサクサクサク。
 老人らしく小手をかざして足音のする方を見る。あれは《青猫屋》のお使い小僧じゃなかろうか。名は、たしか……頓痴気という。
 頓痴気はなにも気づかずに歩いている。
 家に帰るところだ。背中にしょった大きな木箱は空っぼ。注文先に品物を納めた帰りだ。喉も渇いた。家はもう目と鼻の先。《青猫屋》の文字を染め抜いた暖簾が風に翻るのも見えるほど。足取りは軽く、小走るようだ。
 頓痴気が行ってしまうまで、老人は黙ってやり過ごす。子供の後多を見送りながら、老人は思いをめぐらす。歌を歌う人生であった我が身の幸と不幸について。それから歌を歌わない頓痴気の幸と不幸について。これにはもともと答なんかない。
 老人はまた歌い、ゆっくりと歩きはじめる。

てえげえにしねえな、と
ヤジ犬を睨めつけつつ
早々たる家の屍
せつなく仕舞いにかかる

 どこかで風が起こる。
 風は、古びて小さな二階家の裏庭から入りこみ、開け放した座敷を渡り、暖簾を大きく吹き上げてから、笑いながら出てゆく。
 裏庭に面した仕事場兼用の居間では、青猫屋四代目当主席二郎が、手のひらに乗るほどの素焼きの狐と細筆を持ち、影のように静まりかえっている。頓痴気は暖簾の隙間から「ただいま」とだけ声をかけてそのまま裏木戸へまわった。
 頓痴気は夏の裏庭が好きだ。秋もいいけれど、やっぱり夏。殺風景な裏庭に一本だけ姿のよいモミジの木があって、夏には透き通った葉を幾重にも繁らせる。陽射しの強い日、庭全体が若草色に燃える。庭に立てば、頓痴気も斑な緑に燃えあがる。わけもなく鋭い知性のわきおこる気分になる。もちろん、気分だけだけれど。
 頓痴気は若草色の木漏れ日でちらちらする縁側に木箱を下ろした。
 廉二郎が声をかけた。
「納まったかい?」
「はい。すっかり」頓痴気は無邪気に廉二郎の手元を見つめて答えた。素焼きのキツネに毛ほどの目が描かれ、すこし離れたところから見てもいきいきしてくるのがわかって面白い。
「一つも?」
「はい。だめなのは一つも」「ちゃんと見た?」
「はい。お婆さんが」
「ならいいや。婆さんなら。あの、なんとかいう奴」
「山口さん」
「そう山口。あいつはだめ。いいかげんにしか見ないから、あとから婆さんが返品してきたことあった」
 素焼きのキツネは、運ぶあいだに擦れたり耳の縁が欠けたりすることがあるから、注文先で一つ一つ確かめてもらうのが青猫屋の良心だ。頓痴気が使いをするようになってからは、駄目なものはまだ一つもない。
「お代はいつものように祭の日にまとめて払うって」
「婆さんが?」
「はい、お婆さん。きょう山口さんてひといなかったから」
「あいついっぺん婆さんに預かった金使い込んで、持ってこなかったことあった」
 頓痴気は山口という男がそれほど嫌いでないから、相槌を打てずに黙っていた。
「あ」ふいに顔をあげて廉二郎が言った。「スイカが冷えてるぞ」
 頓痴気は子供らしく返事もせずにゴム草履を脱ぎ捨てて台所に走り、廉二郎の声がその背中を迫いかける。「朝比奈さんからのいただきもんだから、ちょいと気をつけてな」
 薄暗い台所の隅のそこだけぽんやり白い冷蔵庫の扉をそっと開けると、小振りのスイカが一つ中段におさまっていた。扉を開けた瞬間スイカがわずかに後退りしたような気もしたが、頓痴気はおかまいなしにスイカを持ち上げた。スイカ本来の重みに、よじれるような抵抗感が加わったが、それも気にせず姐にのせるやスパリと包丁を入れた。スイカはきれいに真っニつになって、おとなしくなった。
 塩の小瓶をそえて大きな盆で縁側に運ぶと笑いながら廉二郎も立ってきた。「おまえ、ほかのことはともかく、こういうことはうまいねえ、じっさい」
 頓痴気は照れ笑いをして、スイカを一切れ取るとむやみに塩を振りかけた。
「そう塩ぶっかけちゃしょっぱいぜ」廉二郎も胡坐をかいて一切れ取った。「俺はからきしだめだからな、包丁さばきはな」
 スイカはすっかり落ち着いて、端々しい赤にきらめいており、種も絵のように規則正しく並び、スイカとはこうあるべきという手本になりきっている。
「いいスイカだ。さすが朝比奈さんとこで取れたのはちがうな。うまいな頓痴気、な」
 いたってざっくばらんな、師弟二人きりの暮らしであった。
「庭に種を落とすなよ。種は全部集めて朝比奈さんに返すんだぞ」
「晩の支度の前に行ってくる」
「そうか。そうだな」
 しばらくは水気たっぷりの音と満足気にクスクス笑う声ばかりで、モミジの若い葉が華やいだ光をひろげる裏庭を眺めながら二人は無心にスイカにかぶりつくのだった。
 この暑い午後、小さな町は眠るように静まりかえり、間こえるのは耳鳴りに似た蝉時雨だけ。
 父と母を早くに亡くした廉二郎は三十半ばになっても妻帯せず、父の顔も母の顔も知らない頓痴気をどういう経緯か引き取って一緒に暮らし、もう六年になる。人形を作る以外はおそろしく不器用な廉二郎にかわって、近ごろでは頓痴気が家事万端と得意先への使い走りを受け持ち、小さな男所帯はそれなりに滑らかな暮らしぶりとなった。
「だから、種、落とすなって」思い出したように言って、廉二郎が頓痴気の肩を小突くと「落としてないってぱ」と頓痴気も脇腹にやり返す。
「うちの庭にこんなスイカがなっちゃ、たまらん」廉二郎はなお言いつのる。
「だから、食べたら、すぐ返してくるから」と、頓痴気もこらえた笑いに咽せる。
 爆発した笑いとスイカの汁とでぐしゃぐしゃの目をしたまま、二人はむやみに小突きあったり転げたりする。朝比奈家から野菜や果物をもらうたびに繰り返される、これは二人にとって数少ない冗談の種なのだ。
 廉二郎は笑うとかえって繊細で悲しげに見える風変わりな顔で、それはこの男に取りついた憂欝虫の仕業かもしれない。

 青猫屋は四代続いた人形師の家で、先々代の祖父は大掛りな芝居人形で評判をとった。背丈三寸ばかりの人形たちは華麗な舞台装置の中で、ある時は刀をきらめかせて大立ち回りを演じ、またある時は屋根船を仕立て鳴物入りで川遊びに興じ、あるいは暗闇に跳梁跋扈する物の怪たちを調伏すべく巻物を口にくわえて大見得を切った。それら一つ一つの場面を正しく並べることによって、さながら一巻の絵巻を見るごとく物語を繰り広げる仕組みになっており、ある一組などはそれを眺めて楽しむには大座敷を必要とするほどの大作だった。
 父の作は祖父のものとはずいぶん趣きが違っていた。芝居人形ではあるけれど大掛りなものはなく、代わりに一つ一つが妖しさと謎に彩られ、見る者の心を永遠に満たされることのない好奇心で縛った。
 父の作のなかで最も魅力的なものの一つは《恋文》と題されたもので行灯を引き奇せて長い長い恋文に読み耽る女の人形の、その顔も手も、着物からはみ出した足先もすべてがぼのかに華やいでいる。女の背後の障子を細目に開けて、一人の男が今まさに匕首を出したところ。行灯から洩れる明かりで男の目は薄赤く光っている。
 また《水溜り》と題されたものはこうだ。雨上りの夜更け、提灯を持った女が水溜まりを跳び越えたところ。泥水がはねていないか頭を反らせて白い脛をちょっと見る。そこへ懐手の若い衆が小走りに来かかる。若い衆は来た道を振り返り振り返り、巾着切りででもあるのか懐からは紙入れが半分ほどのぞいている。女と若い衆の視線は永遠に交わることはないが、それでも見るものには、二人が次の瞬間に恋に落ちることが判るのだ。
 普段は能天気とも剽軽者ともからかわれていた父親だったが、その手によって生みだされた人形たちはいずれも陰惨な人殺しや邪恋の苦しみを運命づけられていた。そして、当然のごとく、それら不運な人形たちは夜の只中に閉じ込められていた。すべての謎や妖しさを追放してしま
う朝の陽光に照らして眺めたとしても、人形たちの周囲は変わらぬ夜であった。
 祖父と父と二代続いた芝居仕立ての人形たちを二階の薄暗がりに置き去りにしたまま、廉二郎は素焼きのキツネばかり作るのだ。しかも注文をくれるのは裏山の稲荷神社だけという有様。頻繁に催す祭で縁起物として売るキツネだ。この町のほとんどの家には、だから、廉二郎の作ったキツネが十や二十はあるはずだ。
 頓痴気が二階の人形たちを見ることを廉二郎は禁じたわけではなかったが、けっして喜びもしなかったから、朝の遅い廉二郎がまだ眠っているうちに掃除をするのだと自分自身をごまかして、頓痴気は二階に上がることがよくあった。
 人形たちは何の配慮もなく置き並べられ連子窓から射し込む斑の朝日のなかで浮き沈みしながら、それでも健気に演技していた。観客を失って久しい俳優たちは互いの視線だけを頼りに狂気のごとく名優だった。
 人形で充満した部屋の片隅、光の射さない暗がりの片隅で壁に寄りかかって座ったまま、時折思い出したように羽根ぱたきを使うほかは、頓痴気はただぽんやりと人形たちの演じる凍りついた時間を眺めて過ごすのだった。
 二階の人形たちと過ごす秘密の時間は、しかし、廉二郎が大量に作る素焼きのキツネ、あの平凡なキツネたちに対する憐れみに似た愛情をかきたてることになるのだった。
 廉二郎の作るキツネはどの一つをとっても同じ。行儀よく前脚を揃えて座り、ふさふさと豊かな尻尾を真っすぐ上に向かって立てて、ほんの少しだけ右側に首を傾げ、細い目を描かれていた。だが、百に一つ、あるいは千に一つ、特別な出来栄えのものがあることを頓痴気は知っていた。それは姿形も細い目も他のどれとも同じであったが、ただ表情がくるくるとめまぐるしく変化した。キツネ自身が作ったキツネ、と頓痴気は感じていた。
 出来上がったキツネを木箱に詰めるとき、頓痴気は一つ一つを素早く点検して特別な出来栄えのキツネを探すのだった。今までに二つ、頓痴気は特別なキツネを発見していた。
 そのうちの一つは、月見の紋平が持っているはずだ。
 二年前のある日、頓痴気はキツネたちを安全に運ぶための木箱の構想を廉二郎に語った。それは一匹のキツネがちょうど納まるような格子が縦横に十個並んだ薄べったい箱を重箱のようにご一段に重ねるというもので、まだ十にもならなかった頓痴気にとっては一キロワットの電灯が点るほどの衝撃的名案であった。当時まだ厄介者に過ぎないと感じていた頓痴気は、この青猫屋で役に立つ存在になるという幻想を、木箱に詰めたキツネを背負って注文先へゆく自分自身の後多の幻想を見たのであった。
 頓痴気のつたない言葉と身振りに、廉二郎は生真面目な頷きで応え、その日の午後台所の腐った床板を修理するために呼ばれた月見の紋平が箱を作ることを引き受けてくれた。紋平は農夫であったが、時折現われては家の修理や庭仕事をしていくのだ。三日の後、紋平は出来上がった箱を持ってやってきた。
 箱を手渡されて、頓痴気は酔ったようにぽんやりしてしまった。頭の中だけにあったものが現実の中に形をもって立ち現われる魔法の瞬間を生まれてはじめて経験し、美しくニスを塗られた箱の蓋を撫でながら、今後に控えている永い永い自分の人生のなかでこのような至福の瞬間が何度くらい訪れるのだろうと考えていた。
 箱は実に見事な出来栄えで、一つ一つの格子は正確に組み合わされ、段を重ねるための凹凸の細工もきちんとしていて愛らしく、その機能以上の存在だった。
 木箱を置いて帰ろうとする紋平を呼び止めた廉二郎の手には、その日の午前中に作ったばかりのキツネが一匹、無造作に握られていた。箱に熱中していた頓痴気は、しかし、それが特別なキツネであることを見逃さなかった。それは、頓痴気の見ている前で作られた表情のめまぐるしく変化する奇妙なキツネ、初めて見た一匹なのだった。
 廉二郎は照れ笑いを浮かべて、紋平にキツネを差し出し、言った。
「礼というにはお笑い草だが、まあ子供の玩具にでもしてくれ。これ、失敗したやつだから壊しても捨てても文句は言わない」
 キツネを受け取ったときの紋平の顔に浮かんだ戸惑いも、頓痴気は見逃さなかった。紋平の目は少しの間キツネの顔に釘づけになったが、無理に視線を引き剥がすと鈍い笑顔に戻り、不明瞭な礼を言って立ち去った。
 紋平が一人暮らしで子供などいないことを、廉二郎も頓痴気もよく知っていた。
 もう一匹の特別なキツネは、稲荷神社の祭で売られていった。稲荷神社に納品するために箱詰め作業をしていて特別の二匹目を発見した頓痴気は、その数日後に催された祭に、ただキツネの行方を突き止めるために出かけたのだった。
 物陰に隠れて長い時間見張ったかいがあって、それを買った女を追跡することができた。女は、信じがたいほど複雑な構造の家と大家族で名の知られた仁多山家の一員であった。その後の調査で、十数人はいるらしい仁多山家の子供の一人、金太郎の手に渡ったことが判明した。頓痴気が三日に一度は行くことにしている小学校で二年下の金太郎に接近を試みているのは、キツネを取り戻そうとしているからにほかならない。
 特別なキツネの値打ちがあんな子にわかるはずはない、と頓痴気は思っていた。

 蝉時雨がふつりと止んだ。
 まだクツクツと笑いのとまらない頓痴気を目で制して、廉二郎は歌を聴く顔になった。

なまめく犬の気配!
くるり振り向けぱ
ゆくりなく肥えゆく犬
きわまれり 恐竜犬
ずだぽろと身じろぐ

「ツバ老だ、あの声は」廉二郎が咳いた。
「仁多山さんとこのおじいさん?」
 答えずに廉二郎は立ち上がり、低く叫んだ。
「頓痴気、屏風を出す。来い」

(「青猫屋」冒頭部/一九九六年一二月新潮社刊)



青猫屋(あらすじ)

 青猫屋は四代続いた人形師であるとともに町で唯一の〈歌瘤士〉でもあった。〈歌瘤士〉とは、歌の〈瘤抜き〉をする者、つまりは歌殺しを仕事とする。
 この町には〈歌ぶり〉の風習があり、それは単に歌を作り、歌を歌うことにすぎないのだが、実に多くの住民がその風習に耽溺していた。
 歌によって傷つけられた者は青猫屋の暖簾をくぐり、人形を注文するかに見せ掛けて、歌の〈瘤抜き〉を依頼する。青猫屋が代々人形師を兼ねるのはまさにこの理由による。〈瘤抜き〉を依頼することはあまり名誉なこととはいえないのだ。
 ある夏の午後、〈歌ぶり〉の名手として名高いツバ老こど仁多山ツバ吉が青猫屋を訪れた。ツバ老は〈瘤抜き〉ではなく歌試合の判定を依頼した。
 青猫屋四代目廉二郎は戸惑う。判定の依頼は初めてであったし、歌試合は四十八年も前に行なわれたものだ。
 試合をしたのはツバ老と、現在は稲荷神社の経営者であるお時婆さんであり、亡き父三代目が立会人を努め、四十八年後に判定をすると約束したという。
 ツバ老の歌は傑作と評判の高い〈ムサ小間〉と判っていたが、お時婆さんの歌はどういうわけか行方不明になっていた。廉二郎はまず歌を探すことから始めなければならなかった。
 一方、青猫屋のお使い小僧頓痴気は、ツバ老の孫の一人である金太郎という子供と危険な取り引きをしていた。金太郎のカラクタコレクションの中に廉二郎が作った特別の人形があることを知った頓痴気は、それを取り戻そうとしていたのだ。
 稲荷神社の裏山に近ごろ怪しげなものがいるらしいという情報を得た金太郎はその正体を見極めてきたら特別な人形を返してやろうという。裏山の探索は稲荷神社の祭の日に決行する約束になった。
 稲荷神社の裏山には、密かに奇妙な生きものたちが集まりつつあった。山羊にそっくりでありながら山羊ではない〈ヤギ〉、白蟻にそっくりなのに白蟻ではない〈灰色蟻〉、馬鹿馬鹿しい電飾の怪物〈花折介〉……。愚かで半端な生きものである彼らは、歌の瘤から生まれたものたちであった。
 お時婆さんの歌を探していた廉二郎は、作者不明の短い歌があることを知った。その歌は、捨てられ、拾われ、変貌を余儀なくされながらも細々と生きていた。だが、それがお時婆さんの歌であるという確証は得られなかった。歌探しは暗礁に乗り上げていた。
 廉二郎は、父親がお時婆さんの歌に〈瘤抜き〉を施して殺してしまったのではないかと疑い、物置小屋で父の帳面を調べるうち、父の亡霊に出会う。亡霊は姿こそなかったが、メモ用紙に文字を書くのだ。物置小屋に大量のメモ用紙を持ち込み、廉二郎は父との対話に没頭する。
 祭の準備に沸き立つ住民たちの間には、さらに華やかな噂が広まっていた。祭の夜にサーカスがやってくる、あるいは楽団の巡業かもしれない、否、大掛りなマジックショウがくるのだ、移動動物園だと噂は様々で、やってくるのが何なのか結局判らないままであったが、祭の夜の川べりということだけは一致していた。小さな町はカーニバルめいた想像で華やいでいた。
 裏山に集まった生きものたちも同じ噂に浮かれていた。やってくる何かを〈巡る旅団〉と呼び、自分たちの仲間に違いないと信じていた。
 祭の日の夕暮れ、金太郎との約束を果たすため頓痴気は裏山に入った。そこには想像した恐ろしい怪物ではなく愚かで奇妙な生きものたちがいた。その上波らは〈巡る旅団〉を歓迎すべく浮かれ騒いで川へ出かけるところだった。
 祭に集まった人々は、既に用べりを目指して移動しつつあった。頓痴気も奇妙な生きものたちに混じって川へ向かった。
 確かに、華やかな行列が川べりに到着し住民たちを迎えたが、それはサーカスでもマジックショウでもなかった。〈巡る旅団〉は、お時婆さんの歌の瘤から生まれた殺裁者たちだった。
 歌から生まれた殺裁者たちが歌を歌う人々を襲う。彼らは言葉で殺した。言葉で腕を、足を、もぎ取った。裏山の生きものたちにも〈巡る旅団〉は襲いかかった。
 物置小屋の廉二郎は、父の亡霊に示唆されて川べりの異変に気づいた。だが、駆けつけた時はすでに遅く、一滴の血も流さない殺毅によって川べりは屍と傷ついた者たちで埋まり、〈巡る旅団〉は来た時と同じ華やかさで引き上げつつあった。

(第八回日本ファンタジーノベル大賞応募時の作者による梗概)



魔法使い

 今にして思えば、私の父は魔法使いだったのだ。若い頃から自動車の運転に夢中だった父は、小さい私を助手席に乗せて昼となく夜となくドライブをした。ドライブといっても、カブト虫に似た水色のボンコツで、ミカン山やお茶畑、田圃道をせっせと走りまわるだけのこと。
 ある夜更け、真っ暗な山の中を走っていたら小さな明かりが見えた。父は車を止め、私の手を引いて明かりの方へ歩いていった。間の中でそこだけがぎらぎらしていたのは人形芝居が掛かっていたからだった。紙芝居の装置ほどの小さな舞台で、九つの尻尾をもつ狐が赤い振り袖を着てめちやめちやに跳びはねていた。私は幻惑され混乱した。不安にかられて辺りを見渡しても父の姿はなかった。
 その日以来、父の運転する車に乗ると、助手席の窓からさまざまなものを見るようになった。あるときは深夜の日間の真ん中に忽然とプラットホームが出現したし、昼間であればミカン山の間をぬって帆走する船団を眺め、あるいは絶滅したはずのサーベルタイガーの昼寝を垣間見た……
 それらが実際に見たものであるのか幼い頭がでっちあげた幻影なのか、長いあいだ不明だったけれど、最近になって、どうやら父の魔法のせいだと思うにようになった。
 そう思ってみれば、母も怪しい。
 ある午後、夕飯の支度をしていた母が不意に振り向いて言ったのだ。「お母さんみたいに吸血鬼になる?それとも、いっそ思い切りよく死ぬ?すこし時間をあげるから自分で考えて決めなさい」
 言うと再び調理台に向かい、ネギなど刻み始めたのだ。割烹着を着て丸ぽちやの母はどうにも吸血鬼には見えなかったけれど、吸血鬼になるべきか死ぬべきか、私は真面目に考えたのだった。
 大人になって、私は両親のもとを離れ、オンジアター自由劇場という劇団に入った。劇団の主宰者は串田さんという人で、これはもう紛れもなく確信犯的かつ洗練された魔法使いなのだった。その証拠に、幸田さんは私たちヒヨッコ研究生に言ったものだ。「おまえたち、技術も知識もないんだから魔法を使え」
 私は幸田さんの魔法のお手伝いをしたり、魔法にかけられたりして十年を過ごしたのだった。
 今年になってオンジアター自由劇場は解散し、西麻布のガラス屋さんの地下にあった小さな劇場も閉鎖された。
 私にかけられた沢山の魔法を一つ一つ解読し、それらに多少の脈絡をつけて安心するための方法として、物語を書くことを思いついたのだった。
 それにしても、今だって私のまわりには一人二人は怪しい人物がいる。まだ油断はできない。

(「波」一九九六年一○月号掲載)



砂場の贅沢

 助川さんてひとは、どういうつもりなんだか、やけに寂しい場所におでん屋台を出している。屋台のすぐ裏は暗い竹薮で、時折りごう、と風が吹き渡り、十一月ともなればずいぶん寒いし滅多にひとも通らないような町はずれ。それでも毎晩通ってくる常連さんが、たった二人だけど、いる。横町さんと蜂谷さんだ。横町さんは近所の古本屋の主人だそうな。蜂谷さんは少しぽんやりしたことろのある女のひとで、どこで何をしているんだかよくわからない。ご一人は一毎晩このおでん屋台に集まっては、嘘つき合戦をするのだ……

 秋も深まったある二日間、ささやかな芝居をやった。出演俳優は三人だけ、スタッブも私を含めてたったの四人。劇場ではなく、個人経営の小さな録音スタジオでやったから、この芝居を観たお客さんは、のべ二百人たらずだった。
 舞台はおでん屋台。舞台美術家が徹夜でこしらえた小さな屋台は紙と竹ヒコで出来ていて、四十ワットの裸電球が一個ぶらさがっていた。それを見た三人の俳優と私は「わびしい」「まずしい」「かわいそう」を連発して大はしやぎをした。そうなのだ。私たちは、佗しく貧しく可哀相で滑稽な芝居をやろうとしていたのだ。

おでん屋台に灯がともる
男がふたりに女がひとり
三人三様 嘘つきで
せつない話に花が咲く

 半年ほど前、私が思いつきで書いた歌だか何だかわからない回行の言葉を唯一の手がかりに、私たちは芝居を作ろうとしていた。
 芝居を作るときの通常の方法、つまり、まず企画があって、それから台本が出来て、台本の読み合せを十日ほどやって、舞台美術家がデザインした装置の図面に則って緻密な動きの稽古をしゴて……、という方法をテンから無視し−−−私たちはみんな、きちんと芝居を作ることに飽きていたのだろう−−−それぞれが勝手気短にやりたいことをやり、言いたい放題を言って我億いっぱいに振る舞った。あんまり野放図なやり方だったから、たまに口喧嘩になったり誰かが勘ねてしまったりしたこともあったけれど、私たちは概ね上機嫌で稽古をした。もちろん台本もないわけだから即興を何度もやってセリフを作っていった。内容が少しまとまりかけると、誰かが壊しにかかった。気を取り直し、方向転換をして形が整いそうになると、別の誰かがまた壊した。作っては壊し作っては壊しをニカ月ほどもやっていたら、つぎはぎだらけの実に不安定な〈ひよっとしたら芝居かもしれないもの〉が出来たのだった。
 平均年齢四十五歳でもう二十年以上芝居をやってきた私たちの、これは、とても贅沢な遊びだった。それは、砂場で遊ぶ子供たちの姿に似ていたかもしれない。

おでん屋台の灯が消える
裏の竹薮 風渡り
ひゅうひゅうばたぱた どんがらこ
あきれた話に 大笑う

 ところで、ひとつの芝居が終わったとき、私の中にはやらなかった芝居が残る。実際にやった芝居によく似ているけれど、ちょっと違う。せっかく作った砂のお城を壊して夕飯を食べに帰る子供の頭の中に、今壊したお城とは少し違う別のお城があるように。これは、もうひとつの私の贅沢。だから、私はまた芝居をやりたくなってしまう。
 公演が終わって通常の営業に戻った録音スタジオには時折り「つぎのお芝居はいつですか?」という間い合わせの電話がかかってくるそうだ。この砂場で遊ぶ権利を、私たちは獲得したらしい。

(「月刊不動産流通」一九九七年二月号掲載)



山茶花

 「元気か?オレは元気だぜ。オレはあんたにひとつだけ嘘をついた。読寸書家だなんて偉そうなことを言ったが、オレは小説ってものを一冊しか読んだことがないんだ。その小説はだいたいこんな話だった。山茶花ってあだ名の女がいた。四十をいくつか過ぎていた。山茶花は主婦だった。会社員の夫と小学生の娘がいた。ある時、山茶花は古いノートを見つけた。それは十年前の山茶花の日記だった。だが、山茶花は日記を書いた覚えはまったくなかった。日記にはこんなことが書いてあった。三十をいくつか過ぎた山茶花はいつもの商店街へ夕飯の買物に行った。その日は、それまで一度も入ったことのなかった小さな市場に行ってみた。売会の品物を物色しているうちに、山茶花は旧道に出ていた。小さな市場は通り抜けになっていたのだ。旧道は古い商店街だったが山茶花には見覚えがなかった。古い商店街を歩いてみたくなった。少し登り坂になった商店街はどの店も閉まっていた。がっかりした山茶花はいつもの道に引き返しいつものスーパーマーケットで買物をして帰った。それからは何日かおきに買物ついでに旧道を歩いてみたが、商店街はいつも休みだった。町が夏祭りで賑わう夕方、旧道に出てみると、相変わらず店は閉まったままだったが、通りには祭りの灯籠が並んでいた。山茶花は、灯籠が途切れるところまで歩いてみようと、ゆるくカーブした坂を登っていったが、ひとつ子ひとり歩いていないというのに灯舘だけはどこまでも続いていて、夜になり疲れて馬鹿馬鹿しくなった山茶花は帰ってしまった。だが、山茶花は旧道の探索をやめたわけではなく、その後も気が向くと旧道に出てみた。おかしなことに夏祭りが終わっても旧道の商店街の灯舘は蝋燭の灯を灯して並んでいるのだった。行くたびに、山茶花は少しづつ足を延ばし、ついに灯籠の途切れるところまでたどり着いた。そこは露店の並ぶ参道だった。着飾った参詣者たちが賑やかに露店をひやかしていた。祭りの露店でよく見る飴売りや揚げ物屋にまじって奇妙がいくつかあった。緑色の敷物を敷いた台の上には小さな生きものの腐乱した死体が無造作に積み上げられ、参詣者たちは争ってなるたけ腐敗のすすんだ醜悪なものを選んで買っていた。それは、参道のずっと奥にある神殿の女神に捧げるための供物なのであった。山茶花は参道の真ん中を導かれるように歩いてゆき神殿にたどり着いた。無数の朱塗の円柱が、反り返った黒金の瓦屋根を支え、麦翠色の飛竜や正体も判らぬ奇怪な幼獣たちが壁や欄間を隙間なく埋めつくしていた。開かれた正面の扉の奥には大きなつづらが鎮座していた。サザンカ、サザンカ、と呼ぶ声であたりを見ると、神殿のわきに渡り廊下でつながった社務所から皺くちやの老婆が手招きをしていた。サザンカ、サザンカ、と、山茶花がすぐ傍へいくまで老婆は呼び続け、骸骨のような手で山茶花の腕をきつく掴んで緋毛轄の座敷に引っ張り上げた。座敷には若い巫女たちが忙しげに立ち働き、下衆な背広を着た男が胡坐をかいて煙草を喫んでいた。男のわきには締麗に畳まれた着物と帯と装身具があった。老婆が言った。山口さん、山口さん、来ましたよ、サザンカ、来ましたよ。男は、おお、じゃ急いでもらおうかね、と笑顔になったが、相変わらず煙草を喫んで座っていた。老婆がセカセカと山茶花の前掛けをむしり取ろうとした。前掛けのポケットには財布が入っていたから山茶花は慌てて自分から前掛けを外した。老婆は腕をパタパタさせて早く全部脱げと急かした。山口と呼ばれた男が着物と帯を押してよこした。おい、カンツバキ、手伝うてやれ、と男は通りかかった巫女に声をかけたが、老婆が激しく手を振り、いらん、いらん、こればつかりはアタシじやないことには、と言ったので、ああ、そうかい、じやなるたけ急いでくれよ、と新しい煙草に火をつけた6老婆は恐ろしく乱暴な手つきで着物や帯を捌いたり山茶花を立たせたり座らせたり引っ張りまわしたりしながら、ようやく全ての・ものを身に着けさせ、懐から小さな容器を取出し、小指に紅を取って山茶花の唇に塗りつけた。男が、でけたか、じや行こうか、と初めて立ち上がった。山茶花はまるきり巫山戯た女神のようにされた自分の姿をつぶさに見ることもできず男のあとに従った。男は渡り廊下をずんずん歩いて神殿に入ると大きなつづらの前で、あんた、これ、初めてじゃったかね?と訊くので、はい、と山茶花は殊勝な返事をした。あ−、じやあ、とにかくここに寝ておれぱい、いから、あとでまた呼びにくるから、それまでただ寝ておればいいから、とつづらを顎でしやくるので、山茶花はつづらの上に寝そべった。男は、うんうん、まあええじやろ、と独りごちてスタスタ行ってしまった。さっき自分も歩いてきた参道の方から参詣者たちが集まってくるのが山茶花にも見えた。山茶花の寝ている場所からご一段下りたところに大きな養銭箱のようなものがあって、参詣者たちは争って買い求めた供物の死体をその中に放りこみ山茶花の方へちょっと手を含わせて拝んでからまだ賑やかに帰って行った。どのくらいの時間そうして寝ていただろうか、蓑銭箱に入りきれずに溢れだした供物が石畳を汚していたからそうとうな時間だったのだろう、ウトウトしかけたとき男が迎えに来た。くたびれたじやろから着替えてちよっと休んでから帰ったがええよ、と言ってくれた。山茶花が家へ帰ったのは真夜中ちかくだった。四十をいくつか過ぎた山茶花は、調べるように丹念にその日記を読んだのだが、やはりそんなものを書いた覚えはなかった。前掛けのポケットに財布を入れて、夕飯の買物に行くついでに、一度も入ったことのない小さな市場を覗いてみようと、家を出た。オレの読んだのは、だいたいこんな話だったよ。『メイズ・ノート』って小説だった。笑ってくれてもいいぜ、書いた本人であるあんたにこの話をするなんてな。オレは小説を読むのははじめてで、読み方が判らなガったから、頭がクラクラして気が違いそうになった。だから小説を読むのはやめたんだ。今になって後悔しているよ。恐がらずにもっとたくさん小説を読めぱよかった。オレはもう本なんか読めるからだじやないから、この小説がオレの小説体験のすべてなんだ。オレはこれから死ぬまでこの話だけをあっためていくんだよ。あんたの書いた『メイズ・ノート』をな。あんたの新しい小説は『シナプス・メイズ』っていうんだそうだな。ミノさんが電車の中吊り広告でチラッと見たそうだぜ。あんたの新しい小説には、ひよっとしたらオレたちのことが書いてあるんじやないかつて思ったが、まさか、な。あんたの新しい小説に、改札の中から声援を送る。がんばれよ。じやあな」

(未発表原稿「シナプス・メイズ」より抜粋)



七月一六日

 ちよっと面白いことがあったから、日記を書こう。
 日記を書くのは小学校以来だ。それも夏休みの終日記しか書いたことがない。わたしはずぽらで忘れっぽいから子供のころの出来事は遥か忘却の彼方だけれど、夏休みの終日記のことはおぽろげながら覚えている。あと三日で学校が始まるというころになってはじめて、終日記帳を開くのだ。真っ白の終日記帳を前に、しばらくのらりくらりと時間をやり過ごし、暗槍たる気分が最高潮になってから道具を揃えるG水彩絵の具と筆とパレット、クレヨン、色鉛筆、それにHから2Bまでの濃さの違う鉛筆。まとめて書いたことが先生にバレないように道具を使い分ける。水彩の絵にHの鉛筆で文章を書いた日、クレヨン画に2B鉛筆の日、というように。おとなっぽくきどってペン画を書いたこともあった。内容のほうも、日々の出来事を思い出そうとする地道な努力をまもなく放棄してしまい、つまるところ「嘘」を書きはじめる。暗塘たる気分はどこかへすっとんで、いつのまにか「面白い嘘」や「ほんとみたいな嘘」を書くことに熱中している。万が一、嘘であることを指摘されて叱られることを考慮し、「言い逃れ」と「辻接合わせ」を考えながら、そのことにさらなる喜びを見出だして、せっせと書く。寝食を忘れて、書く。出来上がったものにはたいてい大満足していた。みんなに見せたくてしかたがなかった。家のなかをうろつきまわって誰かれかまわずつかまえては強制的に見せてまわった。父も母も祖母も近所のおばさんも米屋の御用間きも、面白いと褒めてくれた。嘘に気づいても、笑ってくれた。
 わたしの終日記は、つまるところ、そういうものだった。
 これから書く日記には、絵も嘘もない。
 きのう、ちょっと面白いひとと友だちになった。地下鉄の駅員さん。この駅の周辺に何年も暮らしているのに、ここの駅員さんと知り合わなかったというのも不思議だ。
 切符を買おうとしたら小銭がなかった。壱万円札を両替してもらおうと、駅事務室のドアの前まで行ったら、そのドア、そのスティール製のドアをものすごい勢いで開けて駅員さんがとび出してきたのだ。わたしは生れつきの敏捷さで横へすっ跳び、難を逃れた。駅員さんは一瞬わたしを見たけれど、そのままの勢いで走り、改札わきに置かれた伝言板の前でぴたりと止まった。狙いを定める間があって、右手に持った黒板硝しを鮮やかに振り上げ、振り下ろした。一行、消えていた。五つ六つあった伝言のひとつが綺麗に消えて、消した痕跡さえ消し去ったように、一行ぶん消えた。駅構内に行き交う人はたくさんあったけれど、時代錯誤の魔術めいた仕種を見たのはわたしだけだった、と、思う。
 とび出したときとは別人のような柔和なようすで駅員さんが戻ってきた。開け放しのドアの外で立ちすくんでいるわたしに悪びれもせず、すいませんね、両替ですよね、と言った声は丸く穏やかだった。すべてが丸いのだ。目も顔もからだつきも、年令も丸い。頭のてっぺんの髪の毛の薄くなったあたりも、たぶん、丸い。足の丸っこさに合わせて丸く変形してしまったズック靴をキュ、キュと鳴らしながら、駅員さんはわたしを促して事務室に入り、両替は壱万円札ですか五千円札ですか、と訊いた。訊いたにもかかわらず、奥の流し台へ行って黒板硝しからチョークの粉を弾き落とす作業をはじめた。粉が飛び散らないように指先を細やかに使って丹念に弾いている。黒板硝しが新品同様にすっかりきれいになったことを確かめると、今度は流しの上にかけてあった濡れタオルで指先を丁寧に拭った。それから、やっと、壱万円札を差し出したまま入り口に突っ立っているわたしのほうへ戻ってきたのだ。すいませんね、お待たせしちゃって、と小さな緑色の手提げ金庫からお金を揃えている駅員さんに、わたしは訊いた。伝言を消すのはそんなに重要?「はい」と、力のこもった返事をして駅員さんはわたしにお金を渡し、渡したにもかかわらず熱意をこめて話しはじめた。まるで、わたしがここから出ていってしまうなんて、思いもよらないみたいに。
「伝言は、書かれた時間からご一時間たったら消すことになっています。さっき消したあれは午前十一時八分に書かれたものだったんで午後一時九分に消さなきやならなかったわけで。いや、わたしうっかりしてまして、時計を見たら午後一時八分だったもんだから焦っちやいましてね。すいませんでしたね、わたしのうっかりのせいであなたにまでご迷惑をかけてしまって」
 誘われるまま、わたしは事務室の中に入り、古い回転椅子に腰掛けていた。並んで座った駅員さんは、たくさんの小さな穴が開いた透明プラスティックの円窓から外を見ながら喋り続けていた。わたしたちは、いくつか並んだ切符の自動販売機の裏側に向かって座っていたのだ。わたしの前にも透明プラスティックの円窓はあるはずだったが、それはすっかり角のとれたボール紙製の蓋で隠されていた。
「近ごろはねえ、あなた、伝言だけ書いて時間を書かないひとが多くて困るんですよ。時間を書く欄はちゃんとあるんですよ。どこの駅の伝言板にもあるでしょ?伝言を書く欄の上に『時/分』って小さい欄が。でもね、書いてくれないんです。だから、わたしは伝言の書かれた正確な時間を書きとめておくようにしてます」駅員さんは、さり気なく分厚い大学ノートを差し出して、急に思い立ったように流し台のほうへ行った。それぞれの円窓の下にはわずかなカウンターのような出っ張りがあって、ノートはそこに置かれていた。

さよなら またね
おれは三人のオカマと友だちだぞ!
童子へ 角の本屋にいます エリ
あたまにきただ ぶんたった
ミントは休みだった。ぱかめ。 西田
時間は守れ! 正義の味方斉藤だあ!
わたしはあんたの なに?
そういうあんたは だれ?
…………

大学ノートの一行おきに行儀よく並んだ言葉の行列。極細の水性ぺンで書かれた文字はテール体に似て締麗な丸みを帯び、几帳面な少女の書いた文字みたいだった。それぞれの伝言の上と下にはきわめて小さな文字で時間が書き込んであった。上は伝言が書かれた時間、下は消すべき時間だろう。魔術的な伝言消しの技で消されたものの下には、小さなX印がついていた。でも、消されたはずの伝言がここに列をなして残っている。書いた本人には思いもよらない、こんな場所に密かに。
 駅の業務って、こんなことまでするの?わたしは訊いてみた。湯呑みに二人ぶんの麦茶を持ってきた駅員さんは麦茶がこぽれるほど困惑し、照れた。
「業務って、ちがいますよ、ちがいます、趣味です趣味。半分以上趣味ですよ。ほかじやどうやってるか知らないけど、わたしはこういうやり方をしてるってだけで、ノートをつけるのは業務じやありません。いやだなあ、あなたそれご覧になっちゃったんですか?
困るなあ、恥ずかしいじやありませんかあ」自分からノートを渡しておきながら、駅員さんはそんな言い方をしたのだった。
「ノートを作ってからは時間のことは解決したんですが、ただねえ最近は伝言だか落書きだかわからないものが多くて、困ります」定位置に戻った駅員さんは、再び円窓から外を見ながら、つらいため息とともに言った。「どんなに立派なものでも伝言だとはっきりわかるものは、いいんです。消すときに迷いません。立派な伝言ほどこちらも立派に消し去ってやりたいと、かえって気合いが入るくらいです。迷うのは落書きみたいに見えるヤツですよ。いや、たいていはただの落書きなんでしょう、たぶん。でもね、伝言板の前まで行っていざ消そうってときに・一瞬怯むことがあります。これはただの落書きに見えるけど、ほんとうは思いもよらない重要なメッセージなんじやないか、って。わたしに理解できないだけで。これを消すってことは、なんていうか、世の中にとってものすごい損失になるかもしれない。そういう重要なものを、わたしなんかが消しちゃっていいものだろうか、って。でも消すんです。勇気を奮い起こして消すんです。時間ぴったりに。仕事ですから。それに、消さなきやいつかあの伝言板は永久に消されない言葉でいっぱ・いになって、もう伝言板じやなくなってしまいますから。そんなことになったら困りますでしよ」
 苦悩に引き裂かれつつある駅員さんを救ったのは、壁にかかった丸い電気時計だった。かなり古いのか、グリッグリッと微かな音をたてて時計の針がご一時十一分を指したとき、駅員さんはゆっくりと立ち上がった。ひとつのことに習熟した者だけが獲得する静かな落ち着きで、スティール製の事務机に置いてあった黒板硝しを取り上げ、柔らかな身のこなしで、柔らかな音だけをたてながら、ドアを開けて出ていった。わたしは、そっと入り口まで後をつけて、開け放したドアから見物した。伝言消しの魔術を。
 駅員さんは吸い付くような歩みで狭い駅構内を横切ると、伝言板の前ですこし足を開きぎみに立ち止まった。スローモーションを見るような精度で、わたしは見ていた。紺の制服を通して、わずかだが流麗に動く背中の筋肉や、首筋の精神性、そこだけが美しく血の気を失って透明感を増した右手の甲を。調べるように見ていた。
しのはらのまぬけへ おれはきのうおまえをなぐったぞ おぽえてるか おぽえてたら なぐりかえしにこい エディ
 蛇行した長文の伝言が、消えた。同時にわたしの頭の後でグリッグリッと微かな音がした。時計の針が三時十二分に移動したのだ。
 わたし以外、誰も見る者もない〈伝言消しの魔術〉だった。わたしが最初に目撃したあの慌てぶりは、例外中の例外だったのだ、たぶん。
「文学がね、好きなんですよ」戻ってきた駅員さんは、丸っこい愛敬と明る・さを取り戻していた。流しで黒板硝しを弾き、指先のチョークをきれいにしたあと、丸く盛り上がったほっぺたを赤くして、そう言った。いやな音をたてて軋む回転椅子に、どっこいしょ、などというあられもなくみっともない掛け声とともに腰を下ろし、伝言で埋まったノートをむやみに撫でまわすのだ。伝言を消すための一連の動作にみられる見事になめらかで無駄のない、それでいて高い精神性を感じさせるあの動作とはぜんぜん違う。子供っぽくて恥じらいと憧れを露骨に顔に出したまま、どこか我が身をないがしろにしているようにさえ恩える不器用さだ。「いいですよねえ、文学。いや、わたし自身は文学じやありませんよ、もちろん。ただね、ひと様のお書きになったものをこうして写し取ってると、なんだか自分も文学になれたような気がして嬉しいんですね。いや、伝言が文学であるかどうかはわたしにはわかりませんが、いいんですよ、ただの趣味ですから」

〈未完成原稿「わたしと私」より抜粋)



村役場記録庫

 ギジンは、〈記録保管庫〉の木札が掛かった扉の前に立っていた。木札の文字はいつ書かれたものか、ほとんど判読できないくらいに古びていたし、扉は人を寄せつけない頑なさで閉まっていた。
 毎日かならず一度は村役場に通っているというのに、こんな扉があったことを気づかずにいた。ギジンのみならず、誰もこの扉の存在に気づいていないに違いない。扉に鍵は掛かっていなかった。そもそも村役場には鍵の掛かる扉はないのだ。いや、それをいえば三つの村のどこにも鍵の掛かる扉などない。
 ギジンは覚悟を決めて扉に手を掛けた。ギイ、といやな音をたてて扉が一尺ほど開いた。たった一つの高い小さな窓から陽光が射し込み、埃っぽい床を四角く照らしていた。
 部屋の両側の壁には床から天井まで棚が作り付けてあって、棚にはひと抱えほどの木箱がきちんと並んで入っていた。
 家を出るとき、すぐ帰るとリンに言ったけれどすぐには帰れそうにないな、ギジンは思った。そもそもここに何があるのか知らなかったし、自分が何を探そうとしているのかさえ分かっていないのだ。
 木箱のひとつひとつには、かすれかけた文字で内容が表示されていた。
「帳簿その一、帳簿その二、帳簿その三・・・・・・宅地資料、耕地資料、婚姻届け、出生記録、建築関係資料・・・・」あてずっぽうに声に出して読んでいくと、隅っこの暗がりに何も書かれていない箱があった。いや、何も書かれていないのではない。消えかかって読めないのだ。
 ギジンはその箱を引っ張りだし四角い明かりのなかに置いた。
「・・・・櫟・・・・くぬぎ?」消えかけた文字は一字だけ。櫟、と読めた。箱には数冊の帳面らしきものが入っていたが、どれもこれも文字がかすれて消えかけていた。

(未完成原稿「噂屋」より抜粋)



手記

 記録を書き始めようと思い立ったのは他でもない、この数日俺を苦しめている謂われのない不安に迫い立てられてのことだ。誰が読むか知れない、あるいは誰も読まないかも知れないのに、こうして机に向かうという不慣れなことをするのは馬鹿げている。しかし、書かずにはいられない。
 もしかして、これを読むことになった人に告げる。俺の名は、櫟○○。櫟の家の七代目だ。櫟の家は代々「噂屋」をしている。俺の父親、つまり六代目噂屋は、それまでの五人の先祖に抜きんでて腕の立つ噂屋だったとされている。俺も、子供の頃から父親の仕事の助手を務め、父親が優秀だったことはよく知っていた。だが、生意気盛りの十五歳頃からこの仕事の暗さ、汚さ、そして何より不毛さに疑問を持つようになり、まわりの反対を押し切って都会の大学に行くことにした。
 大学の文科に籍を置いた俺は、学問だけに熱中した。三年間、田舎には一度も帰らず、一度も便りを出さず、ただひたすらに古今東西の文学書と哲学書を読み漁った。田舎のことを思い出したくなかったのだ。出来ることならこのままなしくずしに都会で職を得たいと思っていた。
 そんな俺が田舎へ帰ることになったのは、父親が倒れたという報せを受け取ったからだ。三年も終わる頃だった。妙なことに電報が届くのに六日もかかっていた。
 父親は六日の間ただ俺に会うためだけに生きていた。俺の顔を見ると脅迫するような強さで言った。家業を継げ、村を殺すな、と。
 父親は過労死だった。子供は信一人だった。
 俺は自暴自棄になり、死んだ父親を恨んで酒に溺れていた。
 一週間もたった真夜中、物音に目覚めて出ていってみると、戸口から一枚の書き付けが滑り込ませてあった。仕事の依頼だった。
 俺は七代目噂屋になった。
 恐ろしいことに、俺は父親以上に腕のいい噂屋だった。
 噂屋の仕事は夕暮れに始まり、明け方に終わる。仕事の依頼は、先にも一度書いたように、大抵は真夜中こっそり書き付けの形で行なわれる。依頼主が誰であるかは書かれていないが、依頼の内容によって推測出来る場合もある。一件に三、四日を費やし、大物なら一週間というところだ。仕事が完了して2、3日もすると、やはり真夜中に報酬が届けられる。

(未完成原稿「噂屋」より抜粋)



ヤマザキ参上 (註一)

第一回 初舞台の首尾は如何に

 晩秋の研ぎ澄ましたような冷気の底を、何処からとも知れず一匹の鼠がよろ這い出でた。殺気をはらむ刃の月が中天にさしかかろうとする、その光で見る限り、鼠という一族に当然備わるべき敏捷性をひどく欠いて、あっちへコロリこっちへコロリの、空腹の極限であるのか、はたまた重大な病に冒されて・いるのか。ばかりでなく、人様の食い扶持をかすめて生きる境遇にはあるまじき不用心さで狭い通りを横切ろうとしているではないか。
 行く手にあるは北区上十条一丁目二十一番地ノ七、安真岡家。地下へ降りる階段の脇には《響屋スタジオ》と看板が出ている。音響施設でありながら、ここで芝居を上演しようという企てが持ち上がり、その一回目「その話」なんぞという人を食った題名の小芝居が掛かっていた一九九七年十一月も半ばを過ぎたXX日(註二)、折しも二日目の舞台がハネたばかりの午後八時二十五分であった。
 半地下にある重い硝子扉が開いて、人熱れと騒めきを引き連れた観客たちが流れ出でた頃、丁度通りを渡り終えた鼠が観客どもの足の間に紛れ込んだ。あわや、踏み潰されるか蹴殺されるかの瀬戸際を、万に一つの幸運で掻い潜り、抜け出たところは自動車一台分の車寄せ。この晩、安長岡家のXXXは〈註三)オーナー共々外出中であったために、コンクリートの上は月明かりに白々と冴え渉っているぱかり。
 一方、北区上十条X丁目X番地ノXの鈴木家を、日課である夜の散歩に出たブッチイ・オス・十一歳は、飼い主であるところの鈴木源一郎氏・五十八歳を後ろに従えて、悠揚迫らぬ様子で歩いていたのが、丁度XX整骨院(註四)の看板下を通過する頃、尋常ならざる気配を察して立ち止まった。
 ところで響屋スタジオの車寄せでは、件の鼠がコンクリートの隅に小さなマンホールを発見し、その上をぐるぐる廻って何やら塩梅を調べる風であったが、どこが気に入らぬか、唐突に右側の暗がりに飛び込んだ。
 そこは忘れられた場所。XX整骨院の煉瓦塀と響屋スタジオの壁の隙間に出来た、およそ三尺四方の、空き地とも呼べない狭ッ苦しい土地で、じめついた黒土には雑草が生い茂り、唯一小さな柊の艶やかな葉が僅かの月明かりを照り返しているばかりで。だがしかし、鼠はおのが必要とするものをそこに見出したのだ。それは冷暖房装置の、ズングリした型の室外器であって、迷わずそれに馳せ登った。
 一方のブッチィ・オス・十一歳はXX整骨院の煉瓦塀が折れ曲がる角で姿勢を低くし、警戒と驚愕に唇の両端を捲り上げ、響屋スタジオの車寄せにジリジリと這い込みつつあり、続く鈴木源一郎氏・五十八歳は、飼い犬の歩みがほぽ止まったのをいいことに、呑気らしく月など見上げているのは、一句ひねり出そうという魂胆か。
 さて、響屋スタジオ。出てゆく観客の流れが途切れ、一旦は静まり返っていたのが、再び半地下の硝子扉が開き、走り出でたは一人の女。この舞台を勤めるご一人の俳優の一人。地味な衣装の裾から細い脚を軽やかに蹴り出して階段を駆け上がり、「ありがとねエ」と発した声は曝きかと思うばかりに華奢であったが、案外遠くへ届いたようで、遥か向こう、街灯の手前でシルエットになりつつあった観客の三人連れが振り返り、手を振って応えたのであった。観客達が再び歩き出すのを確かめるでもなく、女優は今駆け上がった階段を降りようとした刹那、その視界の隅に映じたのは影のごとく鎮まる犬。言うまでもなくブッチィ・オス・十一歳。その驚樗に見開かれた眼の、XXメートル先の暗がりで、世にも非凡なる出来事が幕を開けようとしていたのだったが、しかし、女優はアラ犬だ、と言ったなり楽しげな足取りで再び硝子扉の中へ吸い込まれたのであった。
 鼠は不意に踊り出した。そのステップは、肉も骨も粉砕しかねない激烈さで、一切の小細工を排し−1無論、小細工など思いもよらぬ。鼠は生まれてはじめて踊ったのであり、今、自分が踊っているのだという単純な事実すら自覚していなかったであろうから−−ひたすらに、四寸ばかりの身に巣食った疾病を叩き出し、迫っ払うべく、怒りを増大させ闘っているのであった。その疾病とは、自己表現への切ないほどの欲求であったが、それがためにゴ食うも眠るも観ならず、つまりは古典的恋煩いのようなもので。だが確かに、生存の危機ではあったのだ。
 微かに射し込む月光の斑を背に受け、折しも埼点線の踏み切りが、遠くカーンカーシと哀切の叫びを上げる中、今や疾病は、狂乱の舞踏によって漸次解き放たれ、熱気と煌めきとなって室外器の舞台に溢れ出し、代わりにある種の高揚感が鼠の身内を満たしつつあったこれを〈変容〉と呼ぶべきかは知らず、いずれにせよ当人は忘我の境でステップを繰り出すぱかり。四十秒も踊ったろうか、突然バッタリと、倒れ伏した。
 犬は低い哈り声を発した。それは、「天晴れ、ヤマザキ」と、疲労困値した鼠の耳にも、そう間き取れた。鼠は死力を尽くして起き上がり、さらには後脚を踏ん張って立ち上がった。剰え、前脚を可能な限り高く掲げて。
 観客の称賛に応えた、いわばカーテンコールなのであった。犬は「名も無き者に名を与えるというのは、オレとしても少しく立派になった気分だなァ」などの感慨を抱きつつその場を離れようとしたが、ヤマザキという名になんら意味も意義もないことに思い至り、しまったとぱかりに後を振り返った。が、鼠は相変わらずバンザイで硬直したまま、輝く黒輝石の目で唯一の観客を見つめ、立っていた。その姿も再ツキも、正しくヤマザキ。いいではないか。アレはヤマザキ。意味も意義も要らぬこと。意味も意義もないからこその、器の大きな名であろう。これが犬の導き出した結論。
 なまじせせっこましい意味だのテーマだのをくっつけたせいで失敗をした演劇やら舞踏やらが、人の世には星の数ほどあることを、犬の分際では知る由もなかったが。
 ヤマザキは、既に室外器の舞台を降り、月光に晒された通りを渡って、上十条一丁目二十番地ノ十八、XX家とXX家の(註五)隙間へXX石の脇から潜り込み、姿を消した。
 それをチラと横目で見やり犬は新たな感慨に耽った。日く「名も無き者に名付けるというのは、まるで神の所業のようであるなァ」
 犬はふと背後を振り仰ぎ、鈴木源一郎氏・五十八歳の顔を見た。十一年前のあの日、生まれて間もない子犬であった自分をブッチイと名付けたのは正しくこの人物。してみるとこれは神であるのか?だが、目尻を皺ませて微笑み返す氏の顔つきは、どう贔屓目に見ても神というほど上等ではない。さらには、こんな風につぶやいたではないか。「XXXXXXXXX」
 実に、どうも。がっかりした拍子に只今の哲学的ともいうべき考察はことごとく忘却の彼方へと相成って、所詮は犬、散歩の続きに適進したのであった。

※作者による書込※
(註一) タイトル。とりあえずの。
(註二) 「その話」の公演日を入れます。
〈註三) 車種名を入れます。
(註四) おとなりの整骨院の名前を入れます。
(註五) 響屋のむかいのおうち。

〈未完成原稿)



ユリス(妙)

 〈輝くユリスよ、ユリスよユリス。おまえの本当の名は、ユリスというのだ。ゲルハルト・パンネンシュティールが確かに俺の名であるのと同じくらいに、それは確かなことなのだ。
 本当のおまえは、ユリスよ、どこか遠い異国の岸辺、海に突き出た岸壁の、忘れ去られた古城の内、雲突く塔の最上階で、誰にも知られずたったひとり、そっと真綿に包まれて、気高く優雅に育てられ、実際には何の役にも立たぬ奥深い教育を施されるべきであった。だが、おまえの父と母は、無知なるが故にそれを怠った。かわりに、俺が与えよう。〉

 一通目の手紙を読みはじめてすぐ、ハンスは口をあんぐり開いた。ついでに「こりゃなんですか」と、言葉が口を突いて出た。
「手紙だよ」と、間髪を入れず塚本ヤスエ。「馬鹿じゃないの、あんた。手紙だよ。あんたが毎日毎日あたしんとこへ運んできた手紙だよ、ハン公」と、追っかけるような早口で言った。
 確かに、薄青い封筒は馴染み深いものであった。それにしても、
「ユリスって、だれですか」
 これには返事はなかったが、かわりに、スカートの布地が踊るほど激しくなった貧乏揺すりが、あたしだよ、あたし、ユリスはあたし、あたしがユリス、と苛立たしげに告げていた。
 小屋の中は焦熱の地獄であった。窓が三つもあったが、どれも開けることは出来なかった。小屋に入ってすぐ、あまりの熱気に思わず窓に歩み寄ったハンスの背後で、開けられるもんなら開けてみろ、と塚本ヤスエが嘲ら笑ったのだ。窓はどれも、土埃やら肥料の粉末やら歳月の澱やらで強烈に塗り固められていた。もとは透明であったらしい窓ガラスが、外の様子を薄らぼんやりと透かしていた。外は少し風が吹いているらしかった。東の窓からはピンク色のものがさやさやと気持ちよさそうに動いているのが見えた。沙汰砂子であった。南の窓からは機械的な動きの灰色のもの、沙汰達人が。西の窓からは真っ赤な自動車らしきもの見えた。沙汰夫妻は、ときおり明朗な声で呼びかけ合いながら農作業に従事しており、曇った窓ガラスから見えるぼんやりとした姿形のわりに、ふたりの声はごくはっきりと近くに聞こえ、若々しく快活な仕事ぶりが想像されるのであった。
 小屋の中では、止むことのない貧乏揺すり以外に動くものはなかった。

 〈おまえに相応しからぬ父と母を捨て、その父と母がつけたくだらぬ名前も捨て去って、俺のところへ来るがいい。おまえに必要なのは、俺ひとり。俺に相応しいのは、おまえひとりなのだ。
 もしも、おまえがこの求婚を承諾してくれたら、すぐさま旅に出ることにしよう。美しい船の旅だ。豪華客船だ。婚礼も、もちろん海の上だ。優雅な新婚旅行のあとは、よく手入れをされた古雅な城を買い、俺たちふたり、孤独な王と王妃のように暮らすのだ。
 さあ、どうか、使いの子供に返事を持たせてやってくれ。〉

 すっかりおとなになった〈使いの子供〉は便箋を取り落とした。求婚だって? あのゲルハルトさんが、この塚本さんに、求婚? 
「あのさ」塚本ヤスエは真顔で言った。「あたしは花も実もある十三歳だったんだよ。ゲルなんとかはあの当時から五十面の親爺だったろ? いや、ちゃんと顔見たことはなかったけどさ。どうしたってあたしとじゃ釣り合わないよ。なーにが結婚だよっ、ヘソが茶釜だ」
 豪快に笑ったあとグイと顎をしゃくった。さっさと読めというのだ。「この夏じゅうに決着をつけるんだ。あんただって、手っ取り早くおしまいにしたいだろ? 忘れてもらっちゃ困るがねハン公、行方不明のあたしを捜すのは、あんたの役目なんだ」
 ハンスは南京錠の掛かった四つの木箱を見た。ひとつは既に開かれて、今読まされている第一の手紙が収められていたのだが、見たところ千通にあまる薄青い封筒がぎっしり詰まって、ハンスという新しい読者を待っているのであった。四箱あるのだから四千通はくだるまい、いや五千通はあるんじゃないか。ハンス自身が二十年間届け続けた手紙は、封筒の右肩に几帳面にも番号をふられて、順序正しく四つの木箱に収められていた。これを読め、ぜんぶ読めと、塚本ヤスエは命じたのだ。「ぜーんぶ」読めと。

 〈ユリスよ、なぜ返事をくれないのだ? 俺は急ぎすぎたのか? そうか、そうなんだな、俺は性急に過ぎたのだ。それで、おまえは戸惑っているのだな? 考えてみれば、おまえはまだ、この土地から一歩も外へ出たことのない、田舎育ちの小娘であった。
 よろしい。はじめからやりなおしてやろう。いかなる偉業も、はじめの一歩が踏み出されなかったら、けっして達成されなかったろう。はじめの一歩こそ重要なのだ。
 いいか、俺を信じて、俺の指示に従って行動せよ。ひとつも間違ってはいけない。こまかな事もないがしろにしてはならない。
 おまえにとって、はじめの一歩とは、家を出ることだ。
 夜の八時に、おまえの貧しい家を出ろ。父と母はまだ起きていて、こんなに暗くなっているのにどこへ行くのか、と詰問するだろうが、木山聡子の家へ行くと言えばいい。重ねて、何の用事で木山聡子の家へ行くのかと問いただされるだろうから、本を一冊借りるために、と答えろ。父と母は息を呑むに違いない。おまえが本を読む気を起こすなんて、想像したこともなかっただろうから。そこですかさず書名を言うのだ、フォークナーのサンクチュアリだと。父と母は煙に巻かれ、もう何も言うまい。
 木山聡子が教室でおまえと机を並べているというのを、俺はちゃんと知っている。中学生にしては体格も頭脳もしっかりした娘だということも、こんな侘しい土地の娘にしてはなかなかの読書家だということも――おまえは知らなかっただろうが――俺はちゃんと知っている。あの娘がちかごろフォークナーに夢中だってこともな。
 家を出たら、当然だが、駅へ向かえ。おまえの足でも四十分というところだ。途中、木山聡子の家があるが、むろん立ち寄ってはいけない。時間がないのだ。最終の上り列車が桃の里駅を出るのは八時四十三分だ。迷わずに、飛び乗れ。
 荷物はいらない。荷物があっては父と母にあやしまれる。おまえに必要なものはすべて俺が用意する。〉

 そのあと、どこそこ駅に何時何分着、待ち時間が何分で、何時何分のどこそこ行きに乗れという具合に、都合五度の乗り換えを含む行程が、委曲を尽くして――と、いうより偏執狂じみた細かさで――書き連ねてあり、時間の余裕もなにもなくこなして港のある駅に到着するのは深夜十二時を少しまわった頃とされていた。

(未発表原稿『ユリス』より抜粋)



ユリス(あらすじ)

 「桃の里」のはずれ《斜面の家》に住むゲルハルト・パンネンシュティールと名乗る男が死んだ。彼は集落のどこかの家で起こりつつある厄介事の気配を嗅ぎ付ける事を生業としており、「桃の里」の人々は溜め息混じりに「あのおひと」と呼ぶのが習わしであった。彼をゲルハルト・パンネンシュティールたらしめているのは、数千通にも及ぶ手紙に記された署名だけなのである。
 ゲルハルトに育てられ、下僕として仕え、ハンスと名付けられた青年のもとへ、突然、塚本ヤスエがやってくる。ゲルハルトは死ぬ前日までの二十年間体みなく、彼女に手紙を書き続け、それを日々届け続けたのはハンスなのだ。彼女は「もう一年と四カ月も行方不明のあたしをどうにかしてもらいたい。これについちやあ、あんたにも責任がある」と、ハンスに向かって乱暴に言い放つ。
 塚本ヤスエの命令により、ハンスは彼女の家の納屋に毎日通わされ、自分が毎日雇けた、塚本ヤスエ宛のゲルハルトの手紙を読むことになる。几帳面に番号をふられ、大きな木箱四箱に収められた大量の手紙を、今度はハンスの眼と脳ミソで読め、と彼女は命じたのだ。

 〈耀くエリスよ、エリスよエリス・おまえの本当の名はエリスというのだ〉という書き出しで始まるこの手紙は、〈もしもおまえが俺の求婚を承諾しvという仮定のもと、エリス/塚本ヤスエが桃の里駅から最終の上り列車に飛び乗るところから始まり、豪華客船イル・ド・フランス号での婚礼と新婚旅行の様子が馬鹿馬鹿しい程の執勘さで描かれており、その一通一通の最後は必ず、〈返事は使いの子供に持たせてやってくれ〉で終わっている。が、塚本ヤスエが返事を与えたことは一度もなく、そのせいで、ある時などは、船は地中海を祐僅うばかりでどこにも入港できず、暴動まで起きる始末であった。返事をもらわんがため、手紙の記述は、怪しい殺人者に海に突き落とされ忽然と消えたゲルハルトを探して、小舟に乗り込み大海原を行く、エリスの冒険談へと突き進んでいくのであった。

 幾多の困難の末、ゲルハルトとエリスは〈町を東と西に分けて牛耳るニつのファミリア、ヅカビーリー家とウメチヤーロー家vにそれぞれ助けられる。二人は三日後の祭りで、対立しあう両家の代表として山車に乗り、スタジアムで命を懸けた闘いをしなければならないのだ。ラテンのリズム書く中、歓声と怒号の増柵と化す観覧席。二人の〈運命やいかに!〉

 その頃「桃の里」では、かつて塚本ヤスエに求婚していた沙汰達人の現在の妻、沙汰妙子がなぜか塚本家に入り浸り、ヤスエの両親とまるで家族のような生活をしヤスエと姉妹のようにふるまうようになっていた。そんな中、塚本家最大の行事である塚本ヤスエの誕生合が近付いていた。ゲルハルトの母・梅ちやんの見事な歯にぞっこんである歯科医・蛇の呂氏の発案で彼女が今も住む《斜面の家》の二階が会場にあてられ、達人、妙子、蛇の呂氏らの尽力により、金銀モールの飾り付けからお祝いの料理にいたるまで、準備は万端調えられていった。ギョクチョリーノこと桃の里郵便局長らのイタリア民謡を得意とする楽団ナポリタン・カルテットも、初めてのオリジナル曲「お誕生日おめでとう、塚本ヤスエさん」を用意し、塚本夫妻も今年こそ一人娘に喜んでもらおうと、余興の準備に余念が無かった。
 会の趣旨はわからぬままに多くの招待客たちが《斜面の家》に向かう頃、当のヤ管スエはどこかに行ってしまい、ハンスはただ一人手紙を読み続けていた。手紙の登場人物たちと「桃の里」の住人達が奇妙にに交錯し含い、ゲルハルトと再会を果たしたのも束の間、今度はエリスが密林で姿を消してしまう、というように手紙は進む。
 《斜面の家》の二階では、主賓である塚本ヤスエ不在のまま、誕生パーティーは異様な盛り上がりを見せ、梅ちやんに対抗して、招待客である老人たちが歯の丈夫さを競うように御馳走をたいらげており、ナポリタン・カルテットの演奏も、塚本夫妻の祝い萬歳も、かなりいい感じに進行していた。一方、手紙の中でも、ゲルハルト一行が辿り着いた伝説の部族、ツツカルの村で〈ハンスと名付けられた小猿〉と〈ツツカルどもが演じる大騒ぎの猿芝居が進行しつつあった。

 最後の手紙を読み終えたハンスは、誕生会の混乱の中で見失ってしまった塚本ヤスエ/手紙のなかで行方不明になってしまったエリスを捜し出すために、〈上等の大納言小豆を買えるところへ!〉というわずかな手がかりを頼りに、たった一人で東京へ向かうのであった。

(作者本人による梗概に加筆いたしました)



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